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日記には”事柄”と”感情”、どちらを書くべきか

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半年ほど前から紙のノートに日記をつけている。コロナによって仕事がフルリモートになり、今までの習慣が劇的に変わったことから、もう一度ルーティンを構築するために日記を書き始めた。
以前からEvernoteに日記をつけていたが、紙のほうが圧倒的につけている意味を感じることができたので、以降ずっと紙のノートに書いている。

今回は、日記を後から見返したときにどういったことが書かれていたら嬉しいのか、日記には何を書くべきなのか、現状の自分の考えを吐き出しておく。

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ルーティンを作るために始めた朝日記。今では朝昼晩好きなときに書いている。

”事柄”を書くべきか、それとも”感情”を書くべきか

大きく分けてこの2つが日記に書かれることだと思う。「箇条書き」で書けそうなのが”事柄”ベース、「文章書き」になりそうなのが”感情”ベース、そんなイメージ。

もちろん普通に日記を書くとどちらか一方だけになるということはなく、大抵は”事柄”と”感情”がブレンドされたものが日記として出来上がる。
ここで言いたいことは”事柄”と”感情”のどちらをより分厚く書くかということだ。

”事柄”ベースと”感情”ベース、この2つを後から見返したとき、どちらが「ああ日記つけといてよかったなあ〜」と思うのかを考える。
おそらくもはやこれは好み、さらには日記の目的によって異なるだろうとは思うが、”あとから見返したときに嬉しいのはどっち”というざっくりとした観点で考えていく。リラックスしていきましょうね。

”事柄”ベースで書くということ

書くのが圧倒的に楽。筆が乗るわ乗るわ。起こったことをありのままに書くだけなので何も考えなくていい。
また、後から見返したときも「ああ俺こんなにたくさんのことやってきたんだな、ならこれからも大丈夫だわ」と忘れかけていた自信が蘇ってくる。これは特に自己肯定感が低くなっているときに有効で、自分の日記にかなり救われる。

ただ”事柄”ベースで書くと圧倒的につまらない。これはもう間違いない。
筆が乗ってたくさん書けるのに、読み返してみたらつまらない、地獄ですわ。その行動をなぜしたのかがわからないから感情移入ができない。まるで歴史の教科書を読んでいるようだ。

”感情”ベースで書くということ

シンプルに書くのがしんどい。自分の感情を書くのは結構大変な作業である。
「〇〇をやって楽しかった」という文でも、「なぜ楽しかったのか」「そもそもなぜそれをやってみたのか」を言葉に書き出してみると結構な分量になる。 ようするに毎日自己分析をしているに等しく、毎日自分に「なぜ」を問いかけ続けるのは結構辛い作業である。

ただ、この”感情”ベースで書かれた日記はとてつもなくおもしろい。「うわあこんなこと考えていたのか〜ダセえw」と思うこともあるし、逆に「この歳でもうこんな考えを持っていたのか」と感嘆することもある。
感情を書くということは、人生のステージごとの記録を残すことだ。ステージが変わるにつれて忘れていってしまう”当時の気持ち”を残しておくことができる。

自分としては”感情”を日記に書くべきだと思っている。

でもやっぱり日記を書く目的によって変わるのでは?

そう、それは全くその通り。
その通りではあるが、それでもやはり「感情を書き残す」ということは非常に重要だと思っている。
なぜなら感情は、残そうと思わないと残せない。後から思い出すことが非常に難しいからだ。

”事柄”というのは実は振り返るための方法が結構ある
例えば、写真。スマホに残っている写真を見ればいつどこで誰と何をしていたかがわかる。ブログをやっている人だったら自分の記事を見ればその時何にハマっていたのかわかるし、エンジニアであればGithubを見ればどんな技術で何を作っていたかは全部残っている。

対して”感情”は、残す手段があまりにも少ない。写真を見てその時の感情を思い出すことはあるだろうが、全部ではない。特にネガティブな感情を思い出すことは難しい。機嫌が悪いときに写真を撮ることは中々しないので、残らない。

事柄は別の手段でもいくらでも残すことが出来る。だからせめて日記だけでも感情を書いておいたほうが、バランスがいいのかなと思う。

うだうだうるせえ日記ぐらい自由に書かせんかい

本当にその通り。

結局のところ自由に書いたらいい。パブリックにさらされがちな世界で唯一自分の好きなようにできるのが日記。事柄でも感情でも好きなように書いたらいい。
ただ、ふと日記を見返したときに「あれ、なんか俺の日記つまんねえな」と思ったら、”事柄”が多く書かれているかもしれない。
「明日の自分はもはや他人」(だがしかしそれは自分)なので、こういうことを日記に書いてあったら嬉しいだろうなあ〜と思いながら日記を書いてみると、未来の自分に感謝されるかもしれない。